2010年6月10日木曜日

憧憬



どうもみなさんおはようございます。

今日は一日少し私用で会社はお休みなんで、こんな時間にスズメのさえずりとともにBLOGを更新してるNAWOです。


上の写真は、私が子供の頃よく帰郷していた、岩手県某所の写真。


私は京都生まれの京都育ちですが、母は東北の生まれでして、今でゆう秋田と岩手のちょうど境目くらいの場所で生まれておりまして、20歳くらいで関西に出稼ぎにでてくるまではそこで暮らしておりました。

なので母方の実家は今は焼きそばで有名な「横手」の近所なんですが、まあ超田舎の山の中ですが、そこの写真なんかを上に持ってきてしまったりなんかして。

子供の頃は毎夏休みに横手に盆帰省で帰郷していたわけなんですが、生まれてこのかた京都で育っている私にとっては、もうそれはそれは超ワンダーランドでした。

昆虫採取なんてわざわざ取りにいかなくても、家の裸電球に突っ込んできて電球が割れるくらいのデカイカブトムシが居たり。

庭の縁側でボーっとしてると、しょっちゅうキツネやらタヌキやらイノシシやらが「ちょっと通りますよ」てな具合に普通に通っていくし。

水道は無くても井戸水が超冷たくて、そこで冷やしただけのキュウリとトマトがその辺のポテチよりも超旨かったり。

家の前の用水路で、普通にサンショウウオとかヤマメとかが網で取れたり。

まあ。今となっては友人に話しても「そんな場所あるわけがない」というような状態のとこだったわけですが。

子供心には本当に毎年毎年楽しみで仕方ありませんでしたねえ。

私が仕事で写真やデザインの道を歩み出したのも、もしかしたらあの場所の記憶があったからなのかなあと思ったりしまして。

回想と同時に書いてるわけですが。

私はバイクや車で出かけるのも大好きなので、今まで散々、日本全国の沖縄以外の場所は殆ど走り回った記憶があるんですが、

子供の頃に見た、あの田舎で見た夕焼け空に勝る景色は見たことありません。

記憶が勝手に美化されてるのかどうなのか、今となってはもう調べることもできませんが、もしかしたら私があちこち出かけるのも、その景色をもしかしたらどこかでもう一度見れるかも。と思っているからかもしれませんね。

で、そこで見た色や、温度や、いろんな物をもう一度見たくて、感じたくて、芸大を目指し、色んな職を経験して、今こうやって写真にまつわる仕事をしながら、まだあの景色を探しているのかもしれません。

有名な料理人の方は、子供の頃から食べてきた料理の味が、その料理人の味付けのセンスになるといわれる方がいはりますが、もしかしたら料理だけじゃなくて、何か物作りに携わる全ての人には、そういった要素が必要不可欠なのかもしれないなあと。

その岩手の田舎も、一時期は色々建設ラッシュがありまして、川の上流にダムができた時には、現地語でいう「ツナギ」っていうアブの一種が超超大発生しましてですね。

どれくらいの大発生かってと、なにもない空中を虫網でさーーっと1掬いすると、ざっとみて30匹くらいのツナギが捕れるくらいの大発生です。

もちろんアブですんで、人間も刺されるもんですから、昼間でも決死の覚悟で外に出て遊んで。

数時間して帰る頃にはもう体中デコボコになるくらい刺されまくっておりました。

水道は手動ポンプで、ガスもありませんし、風呂は薪で焚く五右衛門風呂でしたねえ。なかなかうまく上の蓋を沈められなくて、周りの釜に触ってやけどしてたもんです。あーなつかしい。

昼間と夕方はコントラストと彩度が以上に強いくせに、朝明け方の朝もやのかかった風景はまるで水墨画のような世界で、長袖のジャージを着てないと風邪ひくくらいの冷え込みでした。

あの風景は今でも忘れることはできませんね。

そんな風景を見れたのも、リウマチでパンパンに腫れた足をひきづりながら、満面の笑みで巨体とともに迎えてくれてた祖母のおかげなんかなあと、しみじみ思っています。


にしても岩手弁は、絶対フランス語の変形だと思うんだけどな・・・・

今でもまだ通訳無しでは殆どヒアリングもできないのがクヤシイ。

今では言葉もかわったのかな?

多分、今となっては高速道路もできて、大きい道や駅もできて、水道もガスもあって便利になってるみたいですが、何がどう変わってもいいので、あの夕焼け空と、電線に沢山止まってる赤とんぼと、隣近所のばあちゃんじいちゃんたちのしわくちゃの笑顔と優しさは、今でも変わってなけりゃいいなあ・・と思ったりしてます。

今日は仕事はお休みですけど、また明日からは超ハードに仕事決めますねー
本日はお休みってことで。

私の代わりに仕事してくれてる皆の衆、まあ頑張ってくれたまへ。
ではでは・・・・

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