どうもみなさんこんにちは。
京都は今日も絶好調に暑くてですね。。。というか、暑すぎるでしょこれ。
雨も降ってないのに、なぜ帰宅したら服が全部ジットリしてるの?
もうほんまにヤヴァイです。ヤヴァすぎます。まだ7月にもなっとらんのに、既に私は素麺が主食でございます。揖保の糸超旨すぎる。
あ、もしくは冷麺で。
ていうかこれが夏バテ?
イヤーーーーーーー!!。・゚・(ノД`)・゚・。
取り乱してすいません。
とにかく朝から暑い中で、通勤するのだけで体力を使い果たした私は、朝イチからもう全然全くこれっぽっちも仕事する気になれなくてですね。
近
同僚の皆様、ほんとにごめんなさい。
でも反省はしとりません。フヒヒ( ・∀・)
で、
『私んとこは女の子やし、色々お金かかって大変やわぁ』
とか
『
とか話しておりまして。
その中で、
『今年の祇園祭りの○○鉾の囃子方の○○さん、
昨日はその祇園祭りのお話でしたが、
長刀鉾建造中。ぐるぐる巻きバージョン。まだ巻くでー |
勿論一番小さな山でも高さ数メートルはありますので、
私が参加したのは大学時代で、大学の
京都市が援助しとるのかどうかは知りませんが、
確か1日、朝から晩まで手伝って、
今は不景気だからどうか知りませんけど、
運良く抽選でゲットした私は、
鉾と山配置図。見事に升目。将棋っぽい。 |
こういうと山って小さく感じますけども、近くで見ると相当デカイです。町屋の二階からでないと上れない山が多いですからね。余裕で一軒家くらいの大きさはあると思います。
私的には狭い通りに連なって鎮座しているそれぞれの山の明かりが、京都の夜の狭い路地にパアーっと花が咲くみたいに見えるのがすごく好きですね。
鯉山(巡行形態へトランスフォーム済) |
今は昔ながらの呉服屋さんが超沢山軒を連ねていて、まあ「京は着倒れ」を地で行くような通りですが、一本東の烏丸通りは、一応京都市内で一番のオフィス街だったりします。
ちなみに室町通りは、足利だれそれの室町幕府の名前の由来になった通りです。
だれそれは調べたかったら調べてね♪
日本史しばらく勉強してないから忘れちった♪フヒヒ
で、京都市内ではだいたい1~3日くらいかけて、各鉾や山を立てる準備やら組み立てからしはるんですけども、私が参加したのは一日だけ。
というか鉾は巨大なので、一日で終わらないとこもあるみたいですけども、山は殆どが一日で組みあがってしまいます。
現地で軍手を受け取り、一番にミーティングがあって、早速作業開始。
どこの山もそうですけども、それぞれの町内会さんたちが「保存会」というのを作ってらっしゃって、その人達が親から子、子から孫というふうに山や鉾は引き継がれていきます。
ですので、この鯉山は「鯉山町」という町が存在してまして。他の鉾や山にもそれぞれその名前のついた長刀鉾町ですとか、月鉾町という町が存在します。
こういうのを知りながら市内の狭い通りとかを歩くと、地面のアスファルトに不自然に穴が開いていて、石の柱が埋め込んである箇所があちこちにあるんですけども、その場所に支柱の木柱を立てて鉾立てする形になります。
探して歩くとけっこう楽しいですよ。
で、冒頭でも言いましたように、木組みと縄だけで組み立てるんですが、素人にはその縄組なんてできるはずもないので、私たちはというと、木組みするときのお手伝い。
まあ年齢だけは大学生で若いので、おじいちゃん達に比べれば、男でも女でもまだ力だけはあるんですが。
鉾建造パーツ群。超重すぎワロタ。 |
とりあえず重い!で、硬い!(; ・`ω・´)
まあそりゃあんな大きな飾りやら何やらぎょうさんつけて、それでいても自立するくらいの物なんですから当然と言えば当然なんですが、質量の法則が間違ってるんじゃないか?てなくらいに重いです。
棟梁のじいちゃんは、「後のまつりにならんように、しっかりささえんかい!」と檄を飛ばしますので、もう滝汗をかきながら、とにかく仮組みしてくれるまで必死に支えます。
まあ細かい作業なんか無いので、こっちはとりあえず持ち上げて、支えて、引っ張って。とかの繰り返しで、蒸し暑いのも加わって大変です。
で、もうひとつ大変なのが、車の整理。
鉾立てが始まると、四条や烏丸のような大きな道意外は全部通行止めになってしまいます。
地元の人はみんな知ってるはずなんですが、中には無理やり通行しようとする方も。
特に高級車に乗ってらっしゃる
「あの車が通れるんやし、私の車が通れへんておかしいやないの!」(#゚Д゚)ゴルァ!!
「いや、すいません、あの車は関係車両なもので、通行許可証がうんぬんかんぬん・・・」
「そんなん関係ないやんか!!だいたいからしてあwせdrtgyふじこ」ヽ( `皿´ )ノ
と、そんなに剣幕撒き散らしてるんなら他の道行けばいいのに・・・
でも他の道も大概通行止めですけどね♪
そこでも棟梁のおじいちゃんが、
「後のまつりですさかいに、すんまへんけど他の道行ってくれはりますかいな」
と、言い聞かせて迂回させます。
また後の祭りかい?
木組みの後はこれまた知恵の輪みたいにものすごい量の縄を巻いていかはるんですけど、これにも非常に重要な順番があるらしく、熟知した人でないと出来ない作業らしいです。
なんでも変に巻いてしまうと、剛性が保てなくなって木が痛むか、崩れるかってことで、これも棟梁のじいちゃんいわく「後の祭りにならんようにな。」ということらしいですが。
にしてもずいぶんと後の祭り後の祭りって。好きなの?おじいちゃん。(;´∀`)
名工左甚五郎の作1650年頃の檜製の鯉。触れたらブン殴られる。 |
で、夕方近くなって、もうシャツもGパンもなにもかも木屑と汗と埃まみれでなんとか一日終了。
でもまだ組み立てしてる鉾も沢山ありました。
最後に日当と、おみやげの厄除け効果抜群のチマキをもらって帰ろうかな・・と思ったんですが、ひとつだけどうしても聞きたい事があったので、棟梁のじいちゃんに聞いてみました。
「なんで後の祭り後の祭りって言うんですか?」
その時私も始めて知ったんですが、祇園祭りは山鉾巡行で終わりではなくて、実は7月一杯まで続くお祭りだったんですね。
京都でも、「祇園祭りが終わったら梅雨が明けるねんで」とよく言われることから、てっきり巡行が終わったらお祭りも終わりだと思ってたんですが、違いまして。
ですがメインの山鉾巡行が終わってしまうと、とっても地味なお祭りになってしまうので、何かを見送った後で、もう取り返しがつかないことが「あとの祭り」という言葉の起源になったそうです。
祇園祭はもともと町衆が色とりどりの鉾を作って盛り上げてきたお祭りですので、各町内にはそれぞれの山や鉾に対する歴史や誇りを持って祭りに望んでらっしゃるのですが、昔にまだ、鉾から厄除けのチマキを観衆に投げて配って?いた時期に、一度だけそのチマキの取り合いになって、女性が大怪我をしたらしく、それから慣習だったチマキ撒きはご法度になったという悲しい事件があったそうで。
その時につくづく、「後の祭りだなあ」と実感されたおじいちゃんは、同じことを繰り返さないように、肝に命じるために、「後の祭り」ってのを口癖のように使うんだとか。
千年続く祭りの慣習でも、そういう少しの過ちが一瞬でそれを変えてしまう事への恐さをおじいちゃんは教えてくれてたのかもしれないなあと。今になって思うわけです。
まあその時はもう体もバテバテだったので、テキトウにしか聞いてませんでしたけどね。
ゴメンよ。じいちゃん。悪気はないねんで。(;´∀`)
厄除け効果抜群のチマキ |
そりゃ厄除けで家に一年飾るもんなんだから、中身入ってるわけないよね。下心出してすいません・・・
カマキリキタ━(゚∀゚)━! |
「こいつ・・・動くぞ・・?Σ(゚Д゚;)」
なもので。
由来やらはすごく色々奥深いものもあるんですが、まあ見るだけで面白いって単純な理由ですけどね。
今年ももうすぐ祇園祭週間になりますが、私の勤務先もその祇園祭の舞台の真ん中近くにあるもので、その近辺はいつも早じまいして帰宅するのが慣わしとなっております。
もうですね、夜になるとすごすぎる人なのと、露天の芳しい香りで、買い食いの虜になってしまうので。 ああ、ベビーカステラ食べたい。
てなわけで皆さんももし気が向きましたら、人混みが好きな人も、そうでない人も、是非見に来てくださいませ。で、京都の地獄のような蒸し暑さも風情だと思って存分に味わっていただけたらと。(;・∀・)
もうすでに存分に味わいすぎて、私はダメダメですけどね。
でも今日もお仕事頑張りますです。。
ではでは。
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