誘惑の手先。
その丸さが私を夢中にさせる。
どうもこんばんわ。
台風で雨が降ろうが槍が降ろうが、あまり仕事の進行には対して意味が無いNAWOでございます。
というのは台風が来てもそんな大荒れにならない京都の内陸部だから言える事なんですけどもね。
被害が出るような地域もあります訳で。
そういう地域の方には、なんとか何事もなく行き過ぎますように・・・と祈りの念も欠かさない私でございますけども。
子どもの頃はなぜか意味もわからずワクワクした嵐の夜の風の強さも、
親に叱られながらもはしゃぎ回った校庭の大きな黄土色の水たまりも。
まあ今となっては避けて通ってしまいがちな年齢になってしまいましたけどもですね。
出来ればそういう好奇心。持っていつづけたいなあ・・・と思いながらも、今日もマックさんのキーボードをタカタカ叩き続ける私ですが。
色々人間って、知らないほうが良い事もあったりするのねえ・・・( ´ー`)y-~~
なんて一人黄昏れてる場合ではなく、実は山盛りやんなくちゃいけない事もあったりするんですけども。
まああわてても仕方ない。のんびりいきましょか〜。とこうやって記事を書き書きしておるのですけどもね。
ちょっと前の話ですけども。
電話帳ってあるやないですか。あの黄色くてゴっつくてブ厚いヤツ。
私の勤務先にも、毎年かどうか知りませんけどもちゃんと新しいヤツを届けてくださるんですけどもね。
その時に必ず、
「古い電話帳あったら持って帰りますので出してもらってもよいですか?」
って言われるんですけども。
毎回毎回の事なんですけど、その時に古い電話帳出した事無いような気がするんですけどもね。
というのは大概がその時に古い電話帳何どこ行った?と探しても見つからないって事なんですけど。
あの巨大で、色も生物学的には警報色のイエローで目立つはずなのに、なぜか毎年しばらく使わないようになってたら何処へ行ったのか解らなくなる。
そんな広い事務所でもありませんから、探せないって事は無いはずなんですけどもね。
電話帳って地域にもよるでしょうけども、超巨大ですから。
あんな物、持って帰って使うなんて奇特な人も居るわけ無いし。
事務所で仕事で遅くなって帰宅困難になった時はあの分厚さが枕に丁度良いもんですから、そういう時はちょいと探せばすぐに出てくるんですけどもね。
なぜか解りませんけども、電話帳の配送に来てくださる瞬間だけ、どこに行ったのか解らなくなる。
もしかして電話帳も、1年かそこら人間と一緒に生活することで自らの意思を持ち、勝手ににあちこち移動してたりするのか・・・・とか思ってしまいますけどもね。
でもって今日みたいな、別段何か用事がある訳では無い時に限って、どっかからヒョイと顔を出してくるのでよく解りません。
電話帳って紙で出来てるだけに、紙隠しか! とかね(・∀・)
・・・おっと、事務所の気温が急激に下がったような気がしますねこれは。。
ま、何にしても邪魔なような邪魔じゃないような、でも色々な意味で無いと困るってのが、我が勤務先での電話帳の処遇な訳ですけども。
昔はですね、大学とかに通ってました頃には、ああいった超分厚い本ってのも、図書館に出入りしてたりして、結構目にする機会が多かった気がしますが。
最近はこうやってネットだとか電子書籍化も進んでる事もあり、洋書の古書のような大きくて重くて、ちょっとカビ臭いような本ってあまり見なくなりましたけどもね。
電話帳は古書というにはあまりにも威厳が無さ過ぎますけども。
ですけどもそういった古書ってのは、長い年月を積み重ねてきただけの品質と威厳に満ちあふれておりますので、中身の内容に関わらず、私は好きなんですけどもね。
なんか座りやすそうな大きなソファーと、背面の壁一面の飴色の本棚に大量にストックされている数々の洋書や古書達。
というようなシチュエーションの場所で、時間も季節も忘れて仕事してみたい。
とか思ったりする訳ですけどもね。
まあ電話帳を枕にして寝てるようでは、その夢が叶うのはまだまだ先なんだろうな・・・とか思いつつ、今日も仕事に精を出しておりますです。はい。(=゚ω゚)ノ
と、そんな電話帳から古書まで、何かと分厚くて重い本が大好きな私ですけども。
それにちなんでですね、今日はそういった本自体をアート作品として色々作ってる方をご紹介したいと思います。
「Altered Books」
こちらはコラージュアートをメインで作品をつくられております、Brian Dettmerさんという方がいらっしゃるのですけども。
この方が制作されてます作品の中で、
「本を一冊、もしくは複数を、本の内容や挿絵なんかを活かしつつ、彫刻作品にしてしまう」
という物でございます。
とりあえず何点か。
・・・一見すると、本がどのように組み合わさってるのか解らないものもあったりしますが。。
でもよくよく見てみると、まごうことなき本であるのは一目瞭然。
それよりも面白いのは、本の内容がそのまま彫刻になってしまうとこですかね。絶妙な立体感を出しながら。
機械関係の本であれば機械の如く、医学書であれば人体模型のようになるのが、ある意味その本のダイジェスト的な彫刻とも言えるのかもしれませんね。
この彫刻、もしかしたら実際にその本を読みまくった後でしか、こうやって削り出す事は出来ないのかもしれません。
ちなみにこの方のページなんですけども。
実に縦に長〜〜い作りになっておりましてですね、作品の掲載されてますギャラリーに行き着くのが多少困難です。多分わざとですけどね。
上のタイトル右のサブメニューの中にあります、
「IMAGES:」
ってとこを押すと、一発でギャラリーに行けるのでそこから見て頂くのが良いかと存じます。
結構前からこのシリーズは制作されてまして、一番古い物だと2005年まで溯りますけども、一貫してテーマ性は変わってないようで。
作るサイドからすれば、分厚い本があればある程、作品が作れる事になるでしょうから。
そういう意味では本が存在する限り無限に作れるんだと思うんですけども。
でも中身を把握した上で計算して彫ってくのも、これも相当大変やろなあ・・・とか勝手に思ってましたけどもね。
ま、何か説得力のあるものってのは、やはり手間暇がかかる物なんですねえ。
私はこのように彫刻はしませんけども。
でもある意味、毎日ぶ厚いアルバムってのを作っておりますのでね。
さっきの洋書や古書の話じゃあありませんけども、やっぱ自分が制作したアルバムや本やなんかも、そうやって長い年月の末に、色んな人に見てもらえたら良いなあ・・・
とは毎回思いつつ作業してますけども。
何百年は無理かもしれませんけども、でもその長い年月の中で、新郎新婦さんの孫とかが見てくれたら嬉しいなーー・・・
とかこれまた妄想を暴走させて誠意製作中です。
いや、妄想では無いですな、結構マジですけども。
というかですね、この前作った新商品は、最初に
「洋書の古書のような雰囲気を持った重厚感のあるアルバム」
というのがテーマだったんですけども。
どうにもこうにもそういう古い加工というのは、所詮デジタルでの加工となると巧くはいかないものなのね・・・と挫折した事もあったんですよねえ。
というかよくよく考えたらブライダルのアルバムにカビってどうよ?という事もあったりして。
なのでバリエーションとして重厚感は残しつつ、経年劣化に期待!な状態でアップしましたけども。
果たしてお客様の反応はいかに・・・以下次号期待!
みたいな、某少年雑誌風味で今日は締めくくりたいと思います。
ではではまた明日お会いしましょう。
皆様ごきげんよう〜(´∀`)
0 件のコメント:
コメントを投稿