2010年6月25日金曜日

マスターと記録係

Diamond Family Portrait 1910
どうもみなさんこんにちわ。

京都は昨日はすっごーーい良い天気だったんですけど・・・
一日経ったらまた曇りのち雨かよ。(;´Д`)
なんだか嫌な感じですねえ。

通勤電車で、どうにもこうにも自分の持ってる傘が邪魔なので、出入り口のドアの取手部分に引っ掛けてなおかつDSをプレイしていたところ、しっかり電車に傘を忘れてきてしまったNAWOです。

また500円傘を無駄にしてしまった・・・・。・゚・(ノД`)・゚・。


前は私も梅雨の時期はそんなに嫌いじゃあなかったんです。
なぜかというと、超お気に入りの傘があったもので、それをさしたくてさしたくて、梅雨時には雨降れ雨降れーと思うくらいでした。



どんな傘かってと、この傘。

知ってはる人もめちゃ多いと思うんですけど、自分の頭上だけ青空になっちゃいます。

結構良い値段してたので、とても大切に使ってたんですけど、コンビニでオヤツを買いにいった時に盗られちゃいまして・・・
つД`)・゚・。・゚゚・*:.。

ちょっとショックだったんですが、まあ見つかるわけもなく、それからはもっぱら500円のビニール傘を愛用させて頂いております。


ですけどまあ、なんとも愛着は湧かないものでして、さっき書いたみたいについついあちこちで忘れちゃうんですよね。なんとかせねば。(;・∀・)



ちなみに今狙ってる傘はですね、
こんな傘です。

なんじゃこの傘?と思うかもしれませんけど、あれですよ、あれ。

雨の時に、カエルさんが傘にしてる草です。( ・∀・)

これさして、あえて緑のカッパ着込んででかけたら雨もさぞ楽しいだろうなあ・・・なんて妄想してます。


別の写真見たら楽しそうなのわかってもらえるかな?

色も三色あるみたいで、前の青空傘と比べるとちと安いので、本気で悩んでる最中です。

ま、こんな風に何かとちょい変わったものが大好きなもので、家の中は変なもんばっかですわ。片付けなくては・・(;´∀`)



一番上の写真はロシアのものすごく古い家族写真。

どのくらい古いかっていうと、1910年撮影ですんで、今からざっと100年以上前です。真ん中がおばあさん?かな?
ざっと見ただけでも三世代全員集合っぽいですね。

なんにしても、やはり長生きしてらっしゃるせいか、おばあさんが一番存在感があるのはどこの国でも一緒なんでしょうかねえ。

色々家族写真見てきましたが、お年寄りはみんな体はちっちゃいですが、我が子とか我が孫とかと一緒に写ってると、存在感はやはり大きいです。

ビジュアル的な、見た目的なもの以外の『何か』があるんでしょうね。

なんで古い家族写真なん?は下を読んでのお楽しみ♪(´∀`)



で、今日は昨日の続きで、家族写真にまつわる記憶に残ってる話パート2です。

昨日は結婚式場のカメラマンがお宮参りの写真を撮影する話だったんですけども、今日は普通の町中の写真館さん。

この写真館さんは、自宅をちょい改装して、一階に照明写真用にほんとにちっちゃな設備と、二階にこれまた部屋を簡単に改装した、ちっちゃいスタジオがあるだけの、普通にどこにでもあるような、オヤジさんと奥さんの二人でやってはる写真館さんでして、

なぜか喫茶店でもないのに、オヤジさんは『俺の事はマスターと呼べ』という命令があったので、いつもマスターマスターて呼んでました。(;・∀・)

私との関係は?というと、この写真館さんが近所の学校さんの写真を撮られてまして、卒業アルバム作成の打ち合わせやらに何回か行くたび、結構親切にしてもらってたので、私も仕事場から近所だったこともあって、入稿の写真やらネガやらをもらいに行ったりしとったんですが。

その写真館さんは、小さいながらも珍しく先代から続く、由緒正しい街の写真屋さんでして、ご夫婦だけなので、まあまあ気楽ながらも楽しみながら、いつも写真の知識はサッパリの私にお茶を入れてくれては、撮影の時の苦労話や笑い話なんかをおしゃべりしてくれてました。

そんなある日、私がいつものように呼び出しをくらって、その写真館さんに行きますと、なにやらご家族連れが珍しく撮影しにいらっしゃってまして。

いや、珍しくと言ったら失礼ですね。。結構七五三や、十三参りや成人式の時期はその写真館さんの狭い廊下にズラーっと並ぶくらいにお客様もいはるんですけどね。

その時はそういうシーズンでもなく、『なにかお祝い事でもあったんかな?』と思いながら、ちょい廊下の隅っこで待ってたんですけど。

そしたら

『おお!NAWOさんまっとったで!はよこっちきて手伝って!』

と、何事かと思ったら、その家族の集合写真を撮影されるようなんですが、ひいじいちゃんとひいばあちゃんまでいらっしゃって、その方々が車椅子なもんですから、階段を上れないので、私に手伝ってほしいとの事でした。

いや、マスター。私一応仕事抜けてきとるんですけどね・・・(;´∀`)

そう思いながらも、とりあえずそのお2人を車椅子からマスターと二人掛かりでおろして、狭ーい急な階段をエッサホイサと上って、二階のスタジオに。

ほんでもって私がゼエゼエ言ってるうちにさっさと撮影は終わってしまい、再度今度はエッサホイサと階段を降りて、店の外に置いてある車椅子まで。

私も日頃から運動してればまあたいした事はないんでしょうけど、なにぶんヒッキーな制作業務ばかりやってるもんでして。

二人担いで上り下りしたあとは、目の中に★がちらちらしとりました。(;´Д`)=3

で、マスターにお詫びのドーナツとコーヒーをもらって、ちょい休憩。

『なんでシーズンでも無いのに、あんな大人数の写真撮影あるんですか?』
と聞いたら、マスターがちょい怒って言いました。

『あのなあ。わしら街の写真屋は、シーズンだろうがなかろうが、近所の人の写真撮って生活しとんねんで。あの人らかて、毎年来てくれてはる貴重なご家族や。』

まあこの話は今の話ではなくて、私が前の勤務先で卒業アルバム作ってたころなので、ちょい前の話なんですが、もう既にその頃は、昨日書きました『こども写真館』なるものが流行り出してた時期でもありまして、プラスデジカメへの本格移行が始まっていた時期もあり、世間では小さな写真館さんが結構片っ端から廃業していってた時期でした。

今までシーズンになったら撮影しに来ていた家族も核家族化が進み、おまけにコンデジ(コンパクトデジカメ)やなんかの普及にともなって、近所の写真館さんにちょい高いお金払って中型フィルムカメラで撮影依頼。というのは減少の一途だった時です。

まあですので、シーズンでもないのにそうやって撮影があったことにびっくりしたのもあったんですが。それよりも私がそういう小さな写真館さんが、どういう仕事でご飯を食べているのかなんて、知る由もありませんでしたので。

でもその後もちょい怒りモードのマスターの話を聞いてると、先代から続く写真館なので、どんだけお客様が少なくなろうとも、辞めるわけにはいかん!という事を懇々とおっしゃってました。

まあでも、さっきも書いてますように、デジカメの普及や、こども写真館の台頭がありますので、私もまあちょい荒れた芸風の、けっこう誰に対してもあまり気を使ったりする人間じゃないもので、これからどうやってマスターは商売して、お金をもうけていくの?みたいにストレートに聞いていたと思います。

写真屋さんなんだから、撮影が無くなったら仕事もなくなるじゃないの。
とか聞く人が聞いたらブン殴られるような事、平気で聞いてましたねえ。(;・∀・)

するとマスターが、『ちょいと見せたいものがあるから、こっちおいでや。』と言うので、あー、ちょい言い過ぎて、スタジオの裏でブン殴られるのかなあ。あちゃーとか思ってたんですが。

連れてこられたのは、スタジオ裏の小さな部屋。
前からその部屋があったのは知ってるんですが、まあ倉庫か暗室なんだろうな、と思って気にも留めてませんでしたが。

まあでも殴られるようなオーラもマスターからは出ていないので、何があるんかな?と思って入ってみますと、壁一面、家族の集合写真が!

パッと見、全部違う家族写真かと思いましたが、よく見てみると、数家族の年代別の写真がズラーーーーッと並んでいました。

そこでマスターが、

『あんな、NAWOさん、写真屋は、確かに写真撮るのも仕事やねんけどな、こうやってその家族さんの記録係でもあるねん。

ここんとこそりゃあ昔と比べて、わざわざ今日みたいに全員で来てくれる人は少なくなってるけどな。

でも、今日来てた人らも、もうあのじいさんが結婚した時の婚礼写真の時から、毎年ずーっと来ては写真を撮ったはるねんか。

俺のオヤジの世代から、毎年毎年こうやって撮りにくる人らが一組でも居はる限り、俺はこの商売勝手に辞めるわけにはいかん。』

というマスターの目線の先には、先ほどのひいおじいさんが、まだ車椅子でない頃の写真が。

他の写真を見ても、白黒の相当古い時代からかなりの数の写真がありまして、新しく家族が増えて喜びの写真もあれば、その前まで写ってたおじいさんが居なくなり、おばあさんが居なくなり、そのかわりに新しい赤ちゃんが増えて、また人数が増えていく写真があったり。

マスターは、街の写真屋はその撮影に来てくれはるご家族の記録係なんだと繰り返し言います。

おじいさんが亡くなって悲しい家族。新しい赤ちゃんが生まれて嬉しい家族。写真は皆嬉しい時や、綺麗な物しか撮らないと思ってるかもしれないが、街の写真屋はそうじゃなくて、全部ひっくるめた家族の記録を記すんだと。

その家族の歴史を撮影するだけじゃなくて、こうやって大切に大切に保管するのも、写真屋の大事な大事な仕事だと。



そのマスターが撮影していたご家族の話で、毎年必ずそうやって記念写真を撮りにこられていたご家族がありまして、

ですが去年まで来ていた、今年から高校に進学したはずの息子さんだけが居ない。

どうしたのかと訪ねると、なんかちょい非行に走ってしまったようで、一人で家を出て、土木作業員をしながら暴走族をしてるんだとか。

その話を聞いたマスターは、その撮影をお客さんに頼んで延期してもらい、その息子さんの住んでるアパートまで、その子が生まれたばかりから、幼稚園、小学校、中学校と、家族一緒で撮ってきた写真をかかえてとんでゆき、なかなか帰ってこないその子の帰りを職務質問されつつも、何時間も何時間もストーカーのように待って、帰ってきたその男の子に土下座して、『お願いだから、またあの写真を撮らせてくれ。お願いだから、またあの家族であの小さい写真館に来てくれ』と直訴したそうです。

まあ相手は族に入って毎晩ブンブン言わせてるような子なので、最初は相手にもされませんでしたが、あまりのマスターの凄まじいお願いぶりに、その子も折れて、一ヶ月後くらいに撮影しにやってきたそうです。

もちろん更正して。

まあこの話はマスターから聞いた話なので、ある程度脚色入ってるとは思いますが、でも、そういうこと平気でするだろうなあ。ていうくらい熱い人だったので、まんざら嘘でも無いと思います。

家族の記録係って、なるほどなあ。そうマスターに思わされたのでした。



まあそれから私が印刷会社につとめてる間じゅう、毎年色々呼び出されて色々手伝いしていましたが、残念ながらそのマスターは病気で亡くなってしまい、今は奥さん一人と、東京から帰ってきた息子さんと一緒にその写真館を切り盛りしてはります。

私も仕事が変わったり色々変化がありまして、ここんとこは全然顔も出せてませんが、今でもあの小さな小さな写真館で、毎年毎年家族の写真を撮っては、あのスタジオ裏の小部屋に大切に大切に保管してらっしゃると思います。

今はお手伝いに行くこともまずありませんけども、この先もずっと、近所のご家族の記録だけでなく、あの写真館さんの記録係でもあってくれたらいいなあ。と思います。

マスターはもう亡くなってから何年も経ちますけども、まだ遠いとこから撮影してたご家族の記録係、やってはると思いますよ。

そういう人に記録してもらってるご家族の方々は、本当に幸せなんだろなーて思います。

街の写真館さんは減ったとはいえ、京都にもまだ沢山ありますけどね。
皆さん本当に頑張ってほしいもんです。



そんな事言ってたら、背後より『お前が頑張れ』という声が聞こえてきたような気がするので、そろそろお仕事に戻らせていただきますー(´ε`;)

皆様もこの梅雨のうっとおしい天気に負けないでくださいねー
と、さりげなく自分に言い聞かすのであった。(;´∀`)

やはり自分へのご褒美に、何とかしてカエルの傘をGETせねば!( ・∀・)

ではでは。。。

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