2012年1月13日金曜日

金魚養画場



今日の朝のネコめくりカレンダーより。

仕事場机上の様子。


今日はいつものジョージアの抹茶コーヒーが加温中だったので午後ティーで。

53円の値札をはがすのを忘れた甘納豆と共に。美味いんだなコレが♪



と言う訳でどもこんばんわ。

晴天ですけども昨日に引き続き超寒い京都よりお送りしております、寒いのは苦手だけども雪は大好き(見たり撮ったりする分オンリー)なnawoでございます。


こんな底冷え厳しい京都ではありますけども。

でもまだ道路の水たまりには氷は張らないんですよねえ。

雪も降っても殆ど積もる事もありませぬので。


大雪の地方の方からすれば、生活に直結してる事なので失礼かもしれませんけども。

だがしかしまだまだお子様思考の強い私としますと、雪が積もる。という事は結構なイベントなのでございます。

なのでこのように雪に乏しい京都の天候に関しましては、ちと「ツマラン・・・」と思ってしまうのですけどもね。


とは言いましても寒さ本番は実は1月ではなく2月ですので。

1月の寒さというのはそれから比較すると序の口なのでしょうけども。

地面の水たまりに薄氷が張るのは、おそらく来月になってからなのでしょうねえ。。


と、それは良いとしまして、

この前、ちと滋賀県の北部の方に行く事がございましてですね。

京都市内とは違いまして、滋賀県のしかも北部。福井とかに近い所になりますと、さすがに雪の量も寒さもワンランク違いまして。

見事な雪景色でございましたけどもね。


でもって電車に乗る駅まで歩いてく道すがら、ちょっとした集落を通るのですけども。

ふと目をやりますと、火鉢に水を張って、よくメダカだとか金魚だとかを泳がせてる睡蓮鉢がありましてですね。

もちろん極寒の地なので、その睡蓮鉢の睡蓮?か植物は茶色く枯れ果てておりまして、もう昼間にもかかわらず、水の上にも見事な氷が張っておりました。


薄氷、というには分厚すぎるような、多分熱さ1cm以上はあろうかという氷。

真冬ですのでね。そんな枯れた睡蓮鉢も季節的に風流といえば風流・・・

とか思って眺めておりましたら、黒い氷の下に何か赤いものが動いてるのがチラチラ見えたりして。


一瞬「え??」っと思って、氷で歪んだ水面の奥を注意深く見ておりますと。

綺麗な和金さんが、その見るからに冷たそうな水の中を、寒さも気にしないような優雅さで泳いでおりました。


真っ黒な水面と、氷で支えられてるような枯れ果てた睡蓮の、その生命感の全く無いような水の奥底に、燃えるような赤色の姿を見た時は本当に何か後頭部をハンマーで殴られたような衝撃でしたけども。

生と死と、何か色んな物を垣間みたような気になりましたですねえ・・・・




と、なぜにそんな近々の金魚の話をいきなりし出すか。というとですね。

某SNSで、色々話題になっておりましたアーティストさんがいらっしゃいまして。



深堀隆介オフィシャルサイト

「金魚養画場」


こちらのアーティストさんですが。

この方は絵描きさんでございます。

リンク先のサイトに行くと、なぜに金魚なのか。なぜに彼は金魚を描き続けるのか。

そのあたりのバックグラウンドまで知る事は出来るのですけども、とりあえず描いてる作品は「絵」なのだ。と言う事を憶えつつ、作品の画像を見ていただけたらと。













photo : Riusuke Fukahori 深堀隆介 - Goldfish Salvation at ICN



いや、全然絵には見えませんな。

なぜにこうも奥行きと透明感があるのか。

それは透明度の高いアクリル樹脂を流しこみ、そこに絵を描いて、また流しこんで・・・

という何層にも重なった絵から出来てるからなのですね。






制作風景の動画も上がってたので参考までに。


この作品を見た時に、冒頭でお話しておりました衝撃的な物と同じ感覚を憶えましたものですので。

なんでしょうかね。生死とか、善悪とか。色んな物が混ざり合っている感覚といいましょうかね。とても不思議な物を垣間みた気がしました。


現在はイギリス、ロンドンのICNギャラリーってとこで個展をされてるようですけども。まあそんな簡単には見に行ける場所ではありませんけどもね・・・

でも日本国内で個展をされるのであれば、是非とも足を運んで、その作品を直に見てみたい・・・・

久しぶりにそう思わせてくれるアーティストさんでございました。


上のリンク先の公式サイトでも書かれてますけども、

「多くの品種の金魚を人間が作ってきたが、完全に種として定着している品種は、ほとんどいない。もしも、人間が選別作業をしなかったら、金魚たちは自由交配し数代ほどでフナに戻ってしまうらしい(あのランチュウでさえも・・・)。
そう考えると、金魚の歴史は、金魚をフナに戻そうとする神様に、人間が抵抗してきた歴史とも言えるのではないだろうか? 金魚を愛する人間がいなくなれば、すべての金魚はフナに戻ってしまう。金魚たちは、美しさと同時に空しさも背負って生まれてくるのです。」

金魚養画場 > 金魚観

・・・なんかそう思うと、金魚ってごくごく普通に身近に存在する物ですが、とても不思議な生き物のような気がしてなりません。

じつはそういう本当に身近な場所にこそ、何らかの真理があったりするのかもしれませんね。日頃は見えてないだけなのかも。。



と。そんなこんなで。

今日はかなり気になってしまったアーティストさんのご紹介になりましたが。


あの真冬の枯れた睡蓮鉢の金魚達。今でも元気に泳いでるのかなあ・・・

そんな事をちょっと考えつつ、私は再びお仕事に戻るとしましょうかね。


ではでは皆様また明日。

ごきげんよう〜♪





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